名刺交換をさせていただいた時、一番かけていただくことが多いのはこの言葉です。
名刺の肩書を「margo主宰・対話型カメラマン」に決めた時はここまでちゃんと見てくださる方がいらっしゃるとは思わず、一度も上手く説明できた試しがないので、一度自分のため
にも整理してみようと思います。
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誤解を恐れずに言えば、私は「カメラが好きで好きでたまらなくて写真の仕事を始めた」わけではないのです。
写真は小さいころから撮ることもありましたが、その動機はいつも「忘れたくない」という焦りでした。
街中のちょっとした良い違和感や、一緒に歩く大好きな家族・友達の様子、そういう "確かに心動いたもの" を二度と忘れないために、遠出をした時なんかはいつも無数の写真を撮っていました。
今の私が好きで仕方ないのはカメラではなく「人」です。
誰かの話を聞くこと。誰かの奮闘を後押しすること。誰かと笑い合うこと。 そんな時間の中で、相手の方が心の底から湧き上がる表情を見せてくれる瞬間。
どうかその気持ちを大切にしてほしい、逃したくない。 そう思った時にシャッターを切って、相手と共有する。 その人自身もあまり出会うことのない表情に、一緒に思いを馳せる。
最初は大学時代に自分で立案したインタビュー集制作の一環で恐る恐る始めた人物撮影でしたが、次第にカメラを介したそういう特別なコミュニケーションそのものに魅せられていきました。
そんな私なので、 純粋に「カメラマンです」と名乗るのは気が引けるところがあり 言い換えて「写真家です」も敷居が上がる感じもするなぁ......と思って 無理やりつけた肩書が、「対話型カメラマン」でした。 対話の手段としてカメラを使う人、というイメージです。
写真に写る人の視界にはいつも撮影者がいて、
それがどんな人なのかによって被写体の写りは本当に変わってきます。
例えばこの海の前にいる写真は、Facebookのアイコンに続いて私のパートナーに撮影をお願いしたものです。 普段はあまり写真に写らない自分の弛緩した背筋に「誰に撮られるかで本当に変わるもんだな」と率直に思いました。この着ぐるみみたいな自分のシルエット、結構好きなので嬉しかったです。
それを考えると写真を撮る人間は「この人なら大丈夫だ」と思ってもらうのが一番の仕事であるようにも思えますし、 カメラや写真に対する知識と技術を磨くこともその一環であると今は心から実感する日々で、これまで以上に勉強が楽しく思えます。
その一方で、そろそろmargoとしても対話の手段をカメラだけではなく、他のものにも広げていきたいなという思いも、日に日に膨らんできています。 正直アイデアの整理が追いつかなくて、寝ているときも夢で企画を考えているほどです。
でももうそろそろ、お知らせできると思います。
その準備はもちろん、今度11/18に参加させていただく "いろどりチャレンジショップ" のお知らせも今日の夜にでもリリースせねば......
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